ものぐさ精神分析(岸田秀)「セルフイメージの構造」

1.これはできるというセルフ・イメージについて


「当人のセルフ・イメージから判明するのは、彼がどんな人間かということではなく、彼が他の人びとにどんなことを期待ないし要求しているかということであり、セルフ・イメージは、その期待ないし要求を正当化する根拠として必要不可欠なものである。」


「われわれは任意にどのようなセルフ・イメージでももつことができる。したがって、われわれのもっているセルフ・イメージは、われわれの実感の反映ではなく、われわれ自身にとっても好都合なセルフ・イメージである。さきにわたしが、セルフ・イメージは他の人びとに対する当人の期待ないし要求の反映であり、それを正当化する根拠として、必要不可欠であると言ったのは、この意味においてである。」


「人間は自分を正当化せずにはいられない存在である。人間は自己正当化によってかろうじて自己の存在を支えられており、自己正当化が崩されれば、自己の存在そのものが崩れるのである。したがって、相手に対して不当な要求を持ち出す場合、不当な要求を不当と知って持ち出すということはなかなかできるものではない。まずそれを正当化する必要がある。そして、正当化の根拠としてよく用いられるものの一つが、セルフ・イメージである。」


「平静な心で自分を反省してみて、自分はこういう人間だと思えるとき、他人の眼にはちょうどその正反対の姿が映っていると考えて間違いはない。」


「その主観的解釈の要素をぬぐいとって事実だけを抽出すれば、彼についての他人の評価は彼自身の評価より相当低く、他人は彼にとって不当と見える、受け容れがたい要求をだしてくるということがわかるであろう。」


これはできるというセルフ・イメージとして、他人を理解しようと丁寧にいろいろと質問する心優しい人というものがあるが、実際には相手が話をしてくれないと感じることが多い。
客観的に見れば、人のことを理解しようとしない人だと思われている。


分析してみると、質問の内容が見た目やスペックに偏っていて、相手の気持ちにフォーカスしていないのだと思われる。
もっと謙虚になって、相手の理解に努めようと思う。


2.これはできないというセルフ・イメージについて


「個人が、自分はあることができないということに気づくのは、そのことをやりたい欲望があるからにほかならない。その欲望ががないなら、そもそも自分にはそれができないということが視野にはいってこない。」


逆にできないセルフ・イメージとしては、場を盛り上げることができない人だというものがある。
今までは、苦手だからできないと避けていたが、その裏側には場を盛り上げることができる人になりたいという欲望があったのだと自覚した。


他人の評価を恐れずに、挑戦してみたいと思う。

 


以上、かぎかっこはすべて引用である。